日本の非核三原則が揺らいでいる。持たず、作らず、持ち込ませず。この三原則のうち持ち込ませずはとうの昔に空洞化していた、というより、初めから国民を欺くための原則だったといっていい。
40年ほど前、私が福井支局に勤務していたころ、行きつけのレストランのマスターがよくいっていた。「小松基地に行ってごらん。核兵器があるんだから。この目で見たんだ」。半分冗談だと思っていた。小松基地は隣りの石川県。福井から出かけて取材するわけにはいかない。
それから十数年。80年代に何度か米国に出張した。その時は何の取材だったかは忘れた。なぜか、ボストンのライシャワー元駐日大使の私邸に招かれた。自民党の元科学技術庁長官ご夫妻と一緒に招待された。ライシャワーさんは米国の研究開発型企業、つまりベンチャー企業の日本法人の会長をしていた。裏庭を散策した後、メインロブスターのディナーをご馳走になった。主賓は元長官夫妻だから、私は目立たぬようにおとなしくしていた。
帰国してから、その日同席していたライシャワー夫人ハルさんの知人からこんな話を聞いた。「ハルさんが原さんていう記者はおもしろい人ですね。核持ち込みについて一言も質問しないんだから」。ライシャワー発言が日本で大きく報じられていたころだった。私は経済担当だから質問しても分からない、と答えたのを覚えている。
もともと米軍の艦船や航空機が日本に立ち寄る時、いちいち核兵器をおろして寄港するなど考えられないから、ライシャワー発言は当然だと思っていた。質問する気もなかった。
そのことでライシャワー家における私の評価は一気に上がった。ボストンにきたら必ず立ち寄るようにといわれた。その後サンディエゴの別荘も含めて何度かお邪魔したが、非拡三原則についてはいっさい質問していない。質問していたら、彼は真面目に答えてくれたと思うが、科学、経済担当の私にとって政治問題に首を突っ込むのは面倒だった。
今日の朝日新聞の核の昭和史という特集が載っていた。当時の木村外相からオフレコで核持込を追認する発言を聞き出していた記者がいたが、それを初めて記事にしたのは、木村外相が亡くなった後の1986年8月だったとある。
それにしても秘密協定の存在を否定し続け、米国政府が公開した外交文書を再び非公開にするよう要請する日本外交はいったい何を守ろうとしているのだろうか。
いわぬが花、聞かぬが花。こんな価値観を外務省が持っているとしたら、ライシャワーさんも天国で悔しがっているのではないだろうか。
『北朝鮮と台湾の関係』 核廃棄物
核開発などで何かと話題に上る北朝鮮と台湾の以外な関係をまとめてみましたので
ご参考まで。
http://nippon.zaidan.info/seikabutsu/2004/00241/contents/500.htm
http://72.14.203.104/search?q=cache:Dgo-61n9W8sJ:nippon.zaidan.info/seikabutsu/2004/00241/contents/500.htm+%E6%A0%B8%E5%BB%83%E6%A3%84%E7%89%A9%E3%80%80%E5%8F%B0%E6%B9%BE%E3%80%80%E6%9D%8E%E7%99%BB%E8%BC%9D&hl=ja&gl=jp&ct=clnk&cd=2
日本財団 図書館
1997/06/10 世界週報
必ずしも足並みがそろわぬ米側の対応
加えて、四月一二日、李登輝総統は、イギリスの賓客との会見の中で、
北朝鮮問題とそれに関する台湾の対応策に言及したといわれる。
だが、かねてから話題となっていた台湾の核廃棄物を北朝鮮で処理する問題については、
既述のギングリッチ米下院議長ですら李登輝総統との会見で抑制を促したもようである。
http://ritouki-aichi.sblo.jp/article/31540733.html?reload=2009-08-27T15:15:16
愛知李登輝友の会ブログ
2009年08月23日
のコメント欄をご覧ください
投稿情報: おなか一杯 | 2009年9 月17日 (木曜日) 17:14