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登録年月 07/2004

« パズルを解く楽しさ | メイン | 原発なんていらない »

2011年3 月22日 (火曜日)

コメント

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kuro

Robbyさんの論理は変だ。本質的に危ないものを危ないと言って反対しているのに、処置をすれば危なくなると言ったら、危ないものを危なくないと言うことになるでしょう。
逆に、賛成派は、『反対派の言う事も一理あるし、想定外の津波が来る事もあるから、少し建てる場所を移動して、隣りの少し高い丘の場所に建てるべきだと、賛成派の我々が国や電力会社に主張するべきだった。今回の事故の責任は、防災対策を強く要求すべきだった、賛成派の我々にも大きくあり、深く反省すべきだ。』と言うべきでしょう。
それに、世の中の現実として原発建設が止められないと、勝手に決めつけないで下さい。日本の霞が関と産業界と政府がそう主張しているだけで、ヨーロッパでは産業界も政府も、脱原発が大きな流れです。
発電コストが安いが、原発の大きな推進理由でした。一度、大事故が起きたら、巨額の賠償費用がコストに加わると、今回、やっと認識できましたか?東京電力の内部留保金では払えないでしょうから、私たちの税金で尻拭いでしょう。
それに、何も罪のない大勢の人達が故郷から追い出されます。何も罪の無い農家の人達が農業ができなくなります。何も罪の無い人達の飲み水が無くなります。
狭い国土、狭い平野、どこまで無くせば、立ち止まって考えるようになるのでしょうか?

Robby

原発反対派の人たちは、まず不可能だということをわかった上で原発建設に反対するだけで、もっと安全な処置を施した原発を作れとはおっしゃいません。

世の中の現実として原発建設が止められない以上、もっと現実的な呼びかけをしてもよかったのではありませんか?

今起きている、これが結果です。

nise

エネルギーを利用して数々の恩恵を享受する為には、
それ相応の負の恩恵をも享受しなければならないことを、
人類はお忘れになっているのでしょうか?

原発補償は、農海産物のみに留まりません。

地元周辺の地価下落に伴う資産価値の下落についても論じられて宜しいのでは?

ZZR

昔、大昔、人類や動物は火を神のごとく恐れ敬っていた。しかし、人類は恐怖を乗り越えて火を自由に扱うようになった。その火は人類に様々な物を与えてくれた。そして現在、人類は原子の新しい火に挑んでいる。自由に制御し使うためだ。今はその過程にある。原子力は必ず使いこなせる日が来る。今、それを放棄しては進歩が止まってしまう。今回の災害を糧としてより安全な原子炉が設計される。

dobokensho

人間ミスはする。事故は必ず起こる。想定外の災害は必ずやってくる。これが前提だ。だからミス、事故、災害が起こったときに取り返しのつかないことになってはいけない。とすれば原発なんて使えない。

ウリボー

直接、本きサイトは関係有りませんが、アゴラの記事については、怒りがおさまりません。

今さら何をいう。

日本人は(人類は)原発と向き合う新たなフェーズに入った。しかしそれは原発否定ではない。共存である。真に原発と共存できる社会を提言せよ。
(長崎の被爆者2世より)

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