「原発周囲 10年20年住めない」。菅首相がこう発言した、と伝えられ地元の憤りを買っている。首相も発言を伝えた内閣官房参与も、そういう発言はしていない、と否定した。だれもが簡単に地元には戻れないだろうとうすうす感じていた。そこでの報道だから、被災者から最後の希望も奪い去る発言だった。だから地元は怒った。
原発周辺地域のどこまでが居住不能なレベルで汚染され、それがいつまで続くのかが問題だ。そのデータが公表されない段階で、不用意な発言だといわれても仕方ない。しかし、これまでもさまざまな人が、チェルノブイリ事故との比較で、何キロ圏は居住不能だろうと発言してきた。首相発言はそれらの見方を追認しただけで何も新味はないのだが、地元の絶望を追認した意味は大きい。
いつ、どこに戻れるか、は今後の放射性物質の放出とも関係する。仮に事故が終息しても廃炉までに数十年かかるかもしれない。その間も放射性物質が漏れる事故がないとはいえない。いま見通しを出せといっても無理かもしれない。だが指導者なら、避難した人々に希望を持たせる発言がほしい。
長期間地元に帰れないとすれば、避難した人はゼロから生活設計をしなければならない。居住不能地域の土地は国が買い取るなど、新生活の設計に役立つ情報を早く出してあげることが重要だ。
いちごさん
浪江町の惨状、昨日テレビで見ました。だれが放ったのか、牛が4頭、生き延びているの見て、南極の極限でも生き延びたあのタロ、ジロを思い出しました。われわれもしぶとく生き延びなければ。
投稿情報: junhara | 2011年4 月15日 (金曜日) 22:55
うう…(;ω;)
浪江町にも桜が満開になりました**
うう…
投稿情報: いちご | 2011年4 月15日 (金曜日) 22:16
30日、亀戸文化センターの市民講座、聴かせていただこうと思っています。
それにしても政治的な配慮というか政治家の感性がありませんね。みんなが薄々感じているとしても、いま言うべきことではなかった。
曹洞宗のお坊さんが、身元確認できないまま埋葬される被災者のためにお経をあげている。その姿を見て、生き残った方が生き残ってしまったという罪悪感を負わずに済む。そのお坊さんは「宗教者としての務めです」と言う。
打ちのめされた人に言葉を投げかけるとき、政治家にも、そういう姿勢が求められるはずだと思います。
投稿情報: 佃 均 | 2011年4 月14日 (木曜日) 23:39