今度の朝ドラはかったるい。見る気がしない。
まずテンポが遅い。若い女の子がテーマだから仕方ないといえば仕方ないが、時代は終戦直後の焼け野原で、あんな悠長な生き方で生き延びられたのだろうか。
わが母親は私を終戦1年前に産んだ。その半年後。わが家も3月11日の東京大空襲で焼けた。疎開もした。
何もない戦後、朝ドラと同じように親は私を育てた。わが母親もお嬢さん育ちだったが、朝ドラの主人公のような生き方で、到底私を育てられたとは思えない。
母親は父のワイシャツの背中の下、お尻を隠す部分を切り取ってワイシャツの襟を縫っていた。古着を切って再生するシーンがあるが、自家で消費する着物を作ることでセいっぱいだった。
子どもの私も裁縫を教えられた。破けた靴下は自分で端切れを当てて縫った。
戦後すぐ弟や妹が生まれた。親は私の面倒を見る暇などなかった。疫痢や大腸カタルなどで死に目にもあった。それでも生き延びた。その代り私には母親の愛情を感じることなく育った。
そんな時代だというのに、おしめや刺しゅう入りの小物入れを作って売れるはずがない。子どもを育てられるとは到底思えない。主人公の子どもが私と同じ昭和19年生まれだから、自分のことのように思え、よけい腹が立つ。
原作や演出が誰かは知らないが、当時は朝ドラの描くような時代ではなかった。
べっぴんといえば、東京ではすこぶる美人のことである。特別な品という意味はない。関西の中でも神戸の山手は特別高級な住宅街である。下町育ちの私としては別世界である。庶民とは縁のない別世界である。戦災で何もかも失ったとはいっても、東京の下町とは違う。そこらへんに違和感がぬぐえない。
戦後は遠くなりにけり。
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