コピーライトの無制限な権利拡張が続いている。映画の著作権保護期間の延長、レコード輸入権の新設、P2Pで音楽ファイルの交換をしている若者の告訴など、ありとあらゆる場面で権利の主張だらけである。
作者の創造意欲を失わせないためにも著作権の保護が必要だといわれる。確かにそうだ。だが、その権利は無制限に認められていいのだろうか。映画にせよ、音楽にせよ、文章作家にせよ、創作のインセンティブを確保するのに、そんなに大きな権利が果たして必要なのだろうか。
自分も物書きだが、生活するのに十分な著作権料収入があればいい。まして子孫の生活費まで著作権料でまかなおうとは考えてもいない。
書物の著作権料つまり印税は発行部数に比例して支払われる。ベストセラーになればもうかる。ヒットしないと思えば、著作権料を出版社に買い取ってもらう場合もある。
作者にとって1万部売れれば元はとれて、ある程度の利潤も確保できたとする。にもかかわらず、100万部売れたらその100倍の利潤が転がり込む。税金はかかるが、いってみれば99万部分は超過利潤である。
デジタル時代になって、コピーはほとんどただみたいなコストになった。アナログ時代よりベストセラーのうま味ははるかに大きい。
普通、工業製品は売れれば売れるほどコストは下がり、販売価格は下がる。しかし、書物、映画、音楽はベストセラーになっても価格は下がらない。多くの人に見たり、読んだりしてもらうには、工業製品のように価格を下げて当たり前なのに、そうはならない。再販制度が利潤を保証している部分もある。
著作物の消費者はこの矛盾にだれも文句をいわない。それが不思議でならない。
著作物がどの線を越えて売れたら超過利潤なのか。その線を見つけることができれば、文化の消費者はもっと安くさまざまな文化を享受できるはずである。
事実、レコード会社はアジア諸国向けに安いライセンス料を設定しているという。だから著作物は工業製品のように大量生産効果による値下げができないわけではない。にも関わらず、逆輸入で安いCDが日本に入ってきてはかなわない、と主張している。海外で値引きできるのなら、なぜ国内で値引きできないのか、理解できない。
クリエイティブコモンズもひとつの解ではあるが、コピー数がある限界を超えたら、収入が逓減していく著作権料の体系を考え出せば、コンテンツ流通の問題はある程度解決できるのではないだろうか。
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