アテネオリンピック柔道で銀メダルに輝いた選手が、試合後のインタビューで「金でなければ意味がない」と悔しがった。準決勝では試合終了1秒前に逆転の一本勝ちをするなど、すばらしい試合をしたのだから、「自分をほめてあげて」いいと思っていたが、意外な感想を漏らした。銅メダルでも、あの一言で有名になったバルセロナオリンピックのマラソン選手に比べて、なんら遜色ない、いやそれより上の成績なのに。二人の違いは何なのか考えてしまった。
かつてオリンピックは、参加することに意義があるといわれた。それがメダルをとっただけで十分な時代を経て、今は「金でなければ意味がない」時代になってしまった。銅メダルでも自分をほめた時代からたった12年しかたっていない。
金でなければ意味がない、といった選手の心情は痛いほど分かるのだが、選手にそういわせる理由は何なのだろうか。
いま、日本ではオリンピックに出場しても、金メダリストでなければ、選手のその後の生活は保障されない、という話は聞いたことがある。古代ギリシャのオリンピックでは、勝者と敗者しかなかったらしい。銀も銅もない。勝利者のみが栄誉を勝ち取り、生涯、生活は保障されたらしい。現代日本は古代ギリシャ時代に逆戻りしたのだろうか。
私の子ども時代、オリンピックに出ただけで選手は尊敬を集めていた。生活保障はなかったにせよ、そういう時代の方がゆとりある社会だったような気がする。
勝たなければ意味がない人生とは、どういう人生なのだろうか。勝てない人が大部分の社会でそういわせる背景は、現代のリストラ社会と関係ないだろうか。日本社会は敗者へのいたわりをなくしてしまったのだろうか。
出た以上、勝たねばならぬ。そんな社会の雰囲気は、欲しがりません勝つまでは、の時代とどこか似ている。
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