地下鉄に乗ろうとした時、後ろから小学生の女の子が追いかけてきた。ドアが閉まる寸前だったので、女の子がはさまれては大変と、閉まるドアを体で止めた。ところが地下鉄のドアはすごい力で私を圧迫してきた。後ろの女の子を守るどころではなく、自分が押しつぶされそうな力だった。腕がすりむけた。
数秒後ドアが開いたが、後ろの女の子は乗り込むことをあきらめてどこかに消えていた。車内に入ると、駆け込み乗車は危ないのでおやめください、というアナウンスが流れた。電子掲示板にも同じテロップが流れた。
冗談じゃない。危ないのは地下鉄のドアの方だ。思わず叫んでしまった。ドアに子どもが挟まれたていたら、ひょっとすると首の骨が折れていたかもしれない。それくらいドアの力は強かった。
駆け込み乗車は確かによくない。だからといって子どもの首をへし折るくらいの力でドアを閉めるのはもっと危ない。エレベーターのドアはちょっと抵抗があれば再び開くではないか。人がドアに挟まれればセンサーで感知する技術もある。
地下鉄のドアは人間が挟まれていることも感知できず、やみくもに閉めようとする。地下鉄はワンマン運転で運転席からテレビモニターで安全を点検する仕組みだから人が挟まれても、ドアを開くのが遅れる。六本木ヒルズの回転ドアに子どもが挟まれて死んだ事故があった。このまま何の対策もしないと、いつか子どもが地下鉄のドアに挟まれて死ぬ事故が起きる。
赤信号になる寸前で、このまま行くと途中で赤になると知っていて横断歩道を渡るか渡らないか。自分で身を守るか、車が止まってくれるだろうと期待するかの違いかと。この場合、どうなるか想定できるのに自ら進んでリスクを取る判断をしてることになりますね。運転側は周りに支障でない範囲内で未然防止の義務はありますが。
投稿情報: 拝読しました | 2013年4 月 4日 (木曜日) 09:55
今は学生ですが、将来技術者を目指しています。
人を考えない機械は誰でも作れます。扉が開いたり閉じたりすればいいだけの話ですから。
六本木ヒルズの森ビルの回転扉でも子供が亡くなりましたよね。それも強度を重視した結果です。
私は安全という言葉抜きで機械を作ってはいけないと考えています。
技術が人を殺す。そんなばかげた技術いらないと思います。
身近にある危険が無くなるよう頑張ります。
コメントの主旨大きくずれてしまってすみません。
投稿情報: saku | 2009年1 月27日 (火曜日) 17:54
たまたまたどり着きました。
駆け込み乗車しても大丈夫、って考えがあると
いつまでもなくならない。
その人が数分待てばいいのに、その人の行為で
電車の中の数百人は一律何十秒も損をするのですよ。
投稿情報: | 2008年4 月 2日 (水曜日) 18:37
自己責任が言われていますが、その前に社会的なマナー、それともう一つ、日本人の心が失われている様に思います。
何故駆け込む必要が有るのか?都会で生活をした事が有りますが、5分がそんなに大事な人がどれだけ居るのでしょう?
心のゆとりを持つべきだと思います。
心の貧しい国には成りたくないです。
投稿情報: kamui | 2007年6 月13日 (水曜日) 23:09
昔、国鉄のストライキが華やかなりし頃?は
順法闘争といって安全が確認できるまでわざとドアを閉めず
遅延を発生させてた事がありましたね
とうとう乗客が怒って上尾事件に発展した訳ですが…
それくらい「定時にドアを閉める」ということは
ダイヤを守り他の大多数の乗客に迷惑をかけない為に重要なことなのでしょう
機会があって車掌のシミュレーターを試しにやってみましたが
死角から駆け込んでくる客にはどうしようも無いんですよ…
特に地下鉄なんて死角だらけでしょうし
それと満員電車でギュウギュウ詰めで客があふれている状態で
弱い力で締めるのは無理だと…
例の乳母車を挟んで引きずられたお母さんも根本の原因は
駆け込んだ自分にあるわけで
危険な原因を作らないと言うのが最も大切なリスクマネージメントでしょう
やはり危険なことを危険と認識し「駆け込まない為の教育」が必要とおもわれます
それと東京の電車の混雑と他の都市、ましてや外国鉄道の混雑は比較になりません
関西圏や中京圏の電車の作りと首都圏の電車の作りが違うことからも明らかです
元々通勤電車という乗り物自体が非人間的だと思ってます
ただ、人を守ってあげようとする心意気はとても大切なことです
これからも間に合うようなら手助けを、見るからに危険ならば叱ってあげてください
投稿情報: | 2007年4 月27日 (金曜日) 10:31
毎日JR使ってますが…
確かに閉まるドアの力は強いですよね。
ゆっくり閉めれば良いってものでもない力が強かったら意味がない。
駆け込み客だけでなく混雑中ドア付近にいる客のためにも。ドアの力はもっとゆるくするべきだと思う。
投稿情報: | 2007年4 月24日 (火曜日) 22:39
地下鉄って都内ですか?
1時間に5本ぐらいの間隔でしたっけ?
私だったら女の子を制止します。
公共の乗り物ですし。
社会に甘えちゃいけないと思います。
投稿情報: 浪人生 | 2007年4 月18日 (水曜日) 18:31
先日の早朝、大江戸線のホームを悠然と歩行喫煙する中年男。
ホームの先端まで歩き、そこでさらに一服。
外人10名ほどの集団がホームの先端にいました。
皆が、ホーム先端を注目。一人、又一人そこから離れ
自分の立つところに全員移動。
喫煙者は悠然と喫煙。
駆込み乗車も同類。迷惑を意識できない。
相手(ドア‐の閉め手)にゆとりを与える乗り方も必要。
ドア‐の閉め方に問題があると思うけど、
自己中の行動作法は良くない。
投稿情報: 禁煙 | 2005年10 月25日 (火曜日) 14:23
発車ベルはもともと黄色い信号のようなもので、「もうドアが閉まるからもう乗るな」という意味なんじゃないですかね(推測ですけど)。でも最近、というかずいぶん前から、東京ではベルの意味がなくなっていますよね。
ちなみに、ドイツ鉄道の最新の通勤電車では、ドアを車掌が閉めるのではなく、ひとつひとつのドアが独立に動き、時間がたつと勝手に閉まります。
ドアの一つ一つには、赤外線センサーと物が挟まるのを感知するセンサーのふたつがついていて、乗り遅れそうになったらドアにさわればまた開いてくれるという仕組みになっています。ドアの閉まり方は、とてつもなくソフトなので、乗り遅れそうな人はみんなわざと足をドアに挟んで、またドアをあけさせて、電車に乗ります。
投稿情報: さい | 2005年10 月24日 (月曜日) 13:20
昨夕品川駅。東海道線でドア‐の異常な閉り方の音を聞きました。
ゆっくりと閉まり、そして開き、今度はドンと音と共に
非常に強く閉まりました。車内の人もびっくりざわめきが。
この異常さはどこから、尼崎の事故と共通するものを感じます。
事情はわからないけど、ゆっくり優しく閉めても
良いじゃないですか。
手動で如何様な閉め方が電車では出きるんだ。
すると、閉める方の判断、精神状態でドア‐の
閉まり方が変わる。ちょっと恐いね。
さわらぬ神にたたりなしかな。
でも、不愉快。
投稿情報: 東海道線車中 | 2005年10 月19日 (水曜日) 09:10
人の意見を受け止める心の度量がないのであれば、コメント機能をオフにしてはいかがですか?
投稿情報: | 2005年10 月14日 (金曜日) 17:04
僕は学生ですよ。地下鉄とは何の関係もありません。どちらかというと客です。
>あなたこそ一度ドアに挟まれてみてください。
ドアにはもう何度も挟まれていますよ。だからあなたもいろいろなタイプのドアに挟まれてみれば、と。
投稿情報: さい | 2005年10 月13日 (木曜日) 02:14
> 弱者は危険な地下鉄に乗るなといっているのと同じです。
弱者は駆け込み乗車しない方が良いのではないか。
もちろん強者も駆け込み乗車すべきではないが、
地下鉄に限らず、また乗車時に限らず、電車は危険だ。
駅のホームから落ちて怪我をするヒトなんかも結して少なくない。
立ち眩みを起こしやすいヒトは乗車時以外は極力ホームの真ん中を歩くそうだ。
危険だと知っている事、そして回避方法を知っている事は大事だ。
間に合わないと悟って消えた女の子は、それを知っていたが、
腕力に自信が在り、自分は弱者だと思っていないヒトは、
力づくで開けようとして腕を擦りむくわけだ。
投稿情報: at | 2005年10 月 6日 (木曜日) 17:26
コメント投稿したお二人、とんぷくさんとさいさん、は地下鉄関係者なのですか。この時代にむきだしの危険があった方が、緊張感があっていいなんて、弱者は危険な地下鉄に乗るなといっているのと同じです。自動車のパワーウィンドウだって子どもの首がしめらる事故があってから、改善されたでしょう。
さいさん。地下鉄のドアがゆっくり、やさしく閉まるのなら、こんな原稿は書きません。後ろの子どもが挟まれてはいけないと、自分からドアに挟まれて、すごい力を感じたから書いたんです。あなたこそ一度ドアに挟まれてみてください。
投稿情報: junhara | 2005年10 月 4日 (火曜日) 01:57
最近の新しい電車は、ゆっくり、やさしく閉まりますよ。ためしに挟まれてみてくださいな。
>地下鉄はワンマン運転で運転席からテレビモニターで
>安全を点検する仕組みだから人が挟まれても、
>ドアを開くのが遅れる。
車掌がいる路線でも、列車が長すぎるので目視では確認できず、結局モニターで見ていますよね。とくにカーブしたホームでは。そのへんはどうなんでしょうか。
投稿情報: さい | 2005年10 月 3日 (月曜日) 13:37
危ないのは駆け込む方である。それを幇助した者も同罪であり、他の乗客への迷惑を考えない行動だ。あまりに安全な機械や仕組みを望んではいけない。緊張感や野性がなくなりかけている都会にあっては、ある意味でむき出しの危険があふれる機械であるという認識のほうが多少の犠牲を払っても、多くの人のためではないだろうか。子供や高齢者、身体障害者など弱者を助けるのは当然である。しかしながら、自動車のパワーウンドウでも首を挟まれれば死んでしまうこともある。機械にはさまれたら危険であるという意識をもって急がない生活を過ごしたいものだ。
投稿情報: とんぷく | 2005年10 月 3日 (月曜日) 12:05