以前から気になっていたが、野田新首相が使っていたのでよけい気になった。「ノーサイドにしましょうとお訴えしました」。野田首相は演説がうまいといわれている。そういう人も使っている。自分の日本語感覚が逆におかしいのか。そんな気にもなる。
これこれの政策を国民、有権者に訴えたい。こういえばいいのに、お訴えしたいを使う。お話しする。お願いする。これらと同類の丁寧語なのだろうか。本来、自分の行為に「お」をつけるのはおかしいのではないか。お箸、お茶碗と同じ「お」なのだろうか。
考えてみるに、「お訴え」を使うのは政治家だけである。他の職業人が使うことはほとんどない。昔の政治家は「お訴え」などとはいわなかった。国民は主権者である。主権者を代表する政治家は国民の僕である。だからお訴えになるのか。民主党代表選の有権者は野田首相と同じ同僚議員である。それでも「お訴え」である。
お上に訴える。腕力に訴える。涙ながらに訴える。辞書を引くとこんな用例が出てくる。支持を訴えるなんて用例は出てこない。本来、訴えるはどうも立場の弱いものが強いものに解決や同情を求める行為だから丁寧の「お」をつけることがなじまないのではないか。
言語学者ではないから、よく分からないが、「国民に訴えたい」でなぜいけないのか。政治家は公僕とはいいながら、腹のなかでは国民の僕などとは思っていない。そういう事実をわれわれはよく知っている。それで不自然だと感じるのだろうか。
本当に同感です。「 私は国民の皆様の(目線)で(ご提案)を(お示し)(させていただき)、ご支持を(お訴え)(させていただきたい)と思います。」....()はすべて誤用と思います。
こんな話し方をして、親に叱られないのでしょうか? 我が家ではテレビで政治家の発言を聞いて、全員でつっこみまくりです。
最近は敬語が乱れすぎたからか、言語学者ですら「言葉は時代とともに変化しますから...」とか言って、誤用を指摘できない風潮ではないでしょうか。
投稿情報: isaac | 2011年9 月 8日 (木曜日) 18:18