あけましておめでとうございます。
非正規雇用の世代をこう呼ぶそうである。朝日の1面新年企画にあった。一時はやった失われた10年も同種の言葉だろう。その時も違和感を感じていたのだが、何が失われたのかはっきりしない。というより受け身の言葉で語られる時代とはいったい何だ。だれが何をなくしたのか。だれかが何もしなかったからではないのか。だれかが国や経済のかじ取りを誤ったからではないのか。いつもそう思っていた。
ロストジェネレーションという言葉は雇用が失われた世代という意味だろうが、では彼らの雇用を奪ったのはだれか。そんな経済社会をつくった責任はだれにあるのか。受け身言葉はそれらの責任を覆い隠す効果がある。きっと責任ある連中が思いついた言葉に違いない。
リタイアした世代は食い逃げ世代と呼ぶそうだ。この言葉は受け身言葉ではないが、老人たちに後ろめたさを感じさせる。老人の仲間入り寸前の個人としては、正月早々実に不愉快である。失われた世代は生活に余裕がないから社会保険料も払わない。食い逃げ世代の面倒を見るつもりはない、という。冗談じゃない。保険料を払わなければ年金をもらえなくなるのは君たち世代なのだよ。
いずれの言葉も世代間の反目を引き起こす恐れがある。それで笑うのはこの事態を引き起こした責任の追及を免れる者たちである。
団塊世代のリタイアが始まる2007年が来て、社会の分裂を招くような言葉は好ましくない。老年層にも格差の拡大による社会不安、巨大債務を隠すインフレ増税路線は困る。
若年層の非正規社員化には、子ども世代のパラサイト化が背景にあるという説がある。少子化時代、親元にいれば定職に就かなくても深刻な事態にならないから、社会問題として噴出しない。
いつまでもあると思うな、親とカネ。老年層が困窮すると困るのは実はロストジェネレーションの若年層である。その意味でも老年層と若年層は運命共同体であることを指摘しておくべきではないか。
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