外資系企業の社長と仲良くなることはあまりないのだが、三富さんだけは違った。虎ノ門の米国大使館前にあった会社に行くと、必ず社長室に招き入れてくれて、いつも長話をした。どんな質問をしても、はぐらかされることはなかった。初めて会った時の質問は「社長、いつ辞めるのですか」だった。社長たるもの、就任した時からいつ辞めるかを考えているものだ。もちろん、その時はいつ辞めるという答えはなかったが、社長としての心構えを語ってくれた。スジの通らない話が大嫌いで、私と馬があった。
NCRはコンピューターメーカーとしては歴史のある会社である。分割後のAT&Tがコンピューターに進出する時、同社を買収した。1994年、日本NCRもAT&Tの子会社になった。三富さんが社長か会長だった。
そのころなぜか、郵政省が情報通信審議会委員に三富さんを委嘱した。外資代表が審議会委員になるのは珍しい時代だった。私が日本の審議会とはどういうものか、三富さんにレクをした。審議会関連の資料もたくさん渡した。
それから半年くらい後だったか、審議会の感想を質問した。「郵政が省内の情報システムをうちに発注してもいいですよ、なんていうんだよ。冗談じゃあない。審議会をタネに商売する気はないって断ったけどね」。三富さんがさりげなく話したのを鮮明に覚えている。「官僚よ私をなめるなよ」といいたかったのだと思うが、口調は穏やかだった。
公務と商売を混同しない。当たり前のことだが、それがいまだ通用しない日本。防衛庁の元幹部や納入業者に、三富さんの爪の垢を煎じて飲ませてやりたい。サムライがまた一人逝った。
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