五輪競技の会場決定問題が大詰めを迎えた。
報道を見ていてずっと疑問に思っていた。東京が立候補を決めた時、どこで何の競技をするのか決めていたのかどうか。決めていたとしても都民は知らされていなかった。計画通り五輪をやったらいくらかかるかも知らされていなかった。記憶にあるのは五輪に必要な経費は積み立ててあるから余分な経費はかからないという説明だった。それがいつの間にか3兆円以上かかると都が説明し、節約するために会場変更案が出てきた。
情報公開を公約にしている小池知事。これらの問題についての情報が公開されているのか。
私個人としては五輪なんていらない、主義だ。五輪の精神、戦争より平和などとっくの昔に失われている。逆に五輪は、戦争の火種となるナショナリズムを掻き立てるだけだ。五輪が戦争回避に役立ったことはあるのか。一度もない。
だからといって東京に五輪がくれば、競技そのものは楽しみたい。私はテレビで観戦する。1964年の東京五輪。大学生だった。駒場のグラウンドが五輪選手の練習場になった。ホッケー部にいたから、五輪ホッケーの観戦入場券が回ってきた。それでも観戦にはいかなかった。興味のある競技はすべてテレビで観戦した。
いまはテレビの映像は素晴らしく向上した。だから会場などどこでもいい。
五輪の収入はいくらになるのかは知らない。だが巨額の金がIOCには転がり込む。入場料、放映権、スポンサー収入、などなど。それに開催都市の税金を目当てにした競技インフラ投資。64年東京五輪はそれで経済成長を促した。だが終わると不況になった。いま五輪で景気が上向くとは思えない。
レガシーという言葉が小池知事はお好きなようだ。64年五輪のレレガシーって何だったのか。むやみに東京を掘り返し、川や運河を埋め立て、世界で最悪の大気汚染の街、東京を生み出した。それで私は東京を脱出した。
五輪で日本人選手が勝つと私も感動する。だが、しばらくすると、ナショナリズムに侵されたわが心が恥ずかしくなる。
そんなことを考えると、会場などどこだっていい。都民の税金を無駄遣いしてほしくない。ナショナリズムを煽らないでほしい。
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