公判で多くの証人が検察の取調べ調書とは逆の証言をしている。一貫して否認していたのは村木被告だけだ。証言を翻した証人はいずれも男の大人である。女性だけが検察の取調べに一貫して抵抗し、大の男がみな検察のシナリオ通り書かれた調書に署名しているのはおかしい。男だけが検察の圧力に屈し、女は抵抗した。日本の男はいつから骨がなくなったんだ。
それにしても検察はなぜ厚生労働省の局長を、しかも女性官僚を血祭りにあげたのか。今回の郵便不正は特捜が全力を傾けるような大事件といえるのか。
自称障害者団体役員が民主党議員に口利きを依頼した日時に同議員はゴルフ場にいたという事実もいっせいに報じられている。ホントに裏づけが取れないまま立件していたとすれば、検事調書は子どもの作文と何ら変わらない。人ひとりを罪人にするには事実に基づいて立件してもらわねばならない。見込み捜査で裏付けもなく事件を仕立て上げたら、それこそ検察ファッショである。特捜部検事とはそれほど幼稚なのだろうか。少なくとも司法試験に通り、現場で経験を積んできているはずだ。
そう考えると検察はだれかにはめられたのではないかという仮説を立てたくなる。民主党議員と団体役員の間に立った元厚生省官僚がテレビの取材に理由もなく逃げ回っていた。なぜ取材拒否をするのか。ひょっとするとこの男がシナリオライターなのかもしれない。想像が像増を呼ぶ。
民主党小沢前幹事長の政治資金疑惑で検察批判があった。小沢が検察批判をして逆に世間の批判を浴びたが、あの事件以降、検察にお灸をすえてやろうと考える勢力が台頭してきたのかもしれない。
かつて検察特捜部は正義の味方だった。警察では踏み込めない政界疑惑、メディアの批判だけでは社会正義が実現しそうもない巨悪。特捜が取り組んだロッキード事件もリクルート事件もそうだった。だが、検察の正義がホントの正義なのか、担保するものは検察の良心以外何もない。裁判が検察の暴走をチェックする機能を持つといえるが、捜査段階でチェックできないと意味がないことを今回の事件は示している。
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